足りないもの
最近やった翻訳に直しが入って返ってきた。この仕事はソースクライアント(おそらく日本にある会社)→翻訳会社A→翻訳会社B(フランス)→私という流れになっていた。翻訳の修正をしたのがソースクライアントさんなのかA社なのかはよく分からなかったけれど、A社からB社に「お宅の翻訳者はダメダメだ」というコメントがあったらしい。ただ「ダメダメ」と言われるだけでも困るので、B社はA社にどうダメなのかを尋ねたが、明快な回答がなかったそうだ。
それで、状況把握のため、修正された翻訳が私のところに戻ってきた。どういう修正が入っているのか(原文理解が間違っていた誤訳なのか、表現の問題なのか)、B社さんは日本語が分からないので説明してほしい、ということだった。私には言わなかったけれど、A社から申し開きを求められていたのかもしれない。申し開きを求められていなかったとしても、いくつも修正が入っているのを見れば、何事かと驚くだろうなあ。
修正が入っていた部分の大半は、直訳っぽかった部分がより自然な日本語に直されているものだった。翻訳の仕事については、どの言語の翻訳でも「翻訳したと分からないように、最初からその言語で文章が書かれたように」ということが言われるようだ。たしかにその通りだと思うので、なるべくそのように心がける。心がけているつもりでも、原文に引きずられてしまうことがある。
今回修正されたのはそういう部分だった。だから、私は修正に全面的に賛成だった。私がもう少し反論めいたことを言ったほうが、B社さんとしてはA社に対して何か言いやすかったのかもしれないけれど、客観的に見て、やりすぎと思うような修正はなかったので、率直にそのようにB社に回答した。私もプルーフリーディングしたり、翻訳に対してコメントを求められたりすれば、それが正しく意味の通じる文章だったとしても、直訳っぽく感じられる部分はできる限り修正しているし、そもそもプルーフリーディングの作業はそのためにあると思う。
というわけで、普段は、自分の翻訳に修正があっても、そこは割り切っているというか、あまり気に病んだりしない(もちろん誤訳の指摘があればそれなりに気にする)。原文に引きずられる問題については、一晩寝かせて見直す時間でもあれば多少はましになるかもしれないけれど、なかなかそうもいかないので、ある程度は仕方ないと思わないとやっていけない(いちいち落ち込んでいては仕事にならない)。でも、今回はとても気になる単語が1つあった。
問題の単語はmagasin de proximité。近所にある店、という意味になる。これを日本語に訳す時は、場合によって、「お近くの販売店」「小売店」などとしている。今回「小売店」という訳をつけたところ、「コンビニエンスストア」と修正された。この単語を見た時、わたしには何かが決定的に欠けているんだと気付いた。でも、それが不愉快だというんじゃなくて、今まで何だかよく分かっていなかったものがはっきり見えて逆にすっきりした。
メールで回答した後、B社さんから電話がかかってきた。修正の内容をいくつか具体的に知りたいということだった。原文は平易なものだし、仮にも何年かプロとして仕事をしてきた翻訳者がいくつも誤訳するような仕事ではない、というのがB社さんの気持ちだったと思う。A社からはダメ出しと同時に、同じ案件の追加部分の翻訳が回ってきていた。ダメダメな翻訳者に仕事を振るA社の行動が不可解、というのもあったかもしれない。
それで、電話で説明することになったのだけど、これは何が修正されたのか、と尋ねられたのもたまたまコンビニエンスストアの部分だった。B社さんは英仏翻訳も扱っていて、英語のconvenience storeが何を指すかは知っている。magasin de proximitéの訳としてconvenience storeとは言わないのが普通だから、その修正は適当ではないんじゃないかとB社さんは言う。それは、その通りかもしれない。でも、日本に住む日本人が小売店に替えてコンビニエンスストアに修正した(意味を限定した)のなら、原文はどうあれ、そちらのほうがふさわしいという判断があったのではないか。さらに言うなら、現代の日本人にとっては、小売店というものよりコンビニエンスストアのほうが馴染みがあるのだろうし、「近所の店舗面積の広くない店」とはすなわちコンビニエンスストアを指すのではないか。私が子供だった頃は、近所に「パン屋さん」と呼び習わしていた店、「○○さん」と名前で呼んでいた小さな食料品店、何の店なのかよく分からないけれど、いろんなものが売られていた店(私の感覚ではこれがmagasin de proximitéに一番近いし、コンビニに近いとも思う。でもコンビニとは呼ばない。。。当時はまだそんな言葉がなかったし、24時間営業なんて考えられなかったのでは)などがあった。けれど、そういう店はいつの間にか閉店したり、チェーン店に変わったりした。
というようなことを考えても、コンビニエンスストアという単語を使う理由がちゃんとある。もちろん、原文通りに訳していけばコンビニエンスストアという訳はまず出てこないし、原文がフランス語で作成される限り、コンビニエンスストアという単語が出てくるはずもない。でも、magasin de proximitéをコンビニエンスストアと訳すくらいの裁量は翻訳者に与えられている。そして、一般的にソースクライアントから見た「いい翻訳者」というのは、ここでコンビニエンスストアと訳せるような人のことを言うんだと思う。
一般的に、外国語から母語への翻訳しか扱わない翻訳会社はたくさんある。私ならフランス語から日本語の翻訳に限るということだ。同時に、外国に暮らす日本人は、日本語の運用能力が衰えるとも言われる(もちろん日本人に限った話ではないだろう)。仕事獲得機会に限って見ると、フランスに住みながら日本語の翻訳をするのと日本に住みながらフランス語の翻訳をするのでは、競争相手の少なさからいっても前者が圧倒的に有利だと思う。そのおかげで、私のような平均的(またはそれ未満)な者でもそれなりに仕事がある。でも、翻訳の質を言うと、特に私のように日本に帰る回数が極端に少ない人は、新しい言葉の意味が分からないことも含めて、在外で日本語の仕事を続けることは難しいんじゃないか、だから気をつけなきゃな、と思っていた。
でも、今回のコンビニエンスストアの件では、日本に住んでいないことのハンデではなく、もっと本質的な何か、翻訳センスというようなものが自分には欠けているとよく分かった。といっても、明日から急に仕事を変えるわけにもいかないので、自分に足りないものをよくよく自覚していくしかないな。
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コメント
同業者としてコメントします…
翻訳作業の中で校正は大切な作業のひとつだと思いますが、magasin de proximité をコンビニエンスストアと訳すかどうか、またはそれが良い翻訳、正しい翻訳であるかどうかは疑問です。たしかにフランスにいたら「近くのお店」はコンビニエンスストアにはなり得ない、なりがたいですよね。この場合、赤を入れた人は品物がどこに主に流通しているのかを知っている人だったのではないでしょうか。品物がどこに納入されてどんな種類のお店に並ぶかは翻訳者にはわかりませんから、これは間違いではないし、私も小売店と訳すと思いますよ。翻訳センスが欠けているとこれだけで判断するのは早計では? この文面からでは何が該当商品であるか分かりませんが、化粧品ならコンビニエンスストアだけでなくデパートや大型安売り店にも卸されている可能性だってありますよね。magasin de proximité をコンビニエンスストアにしてしまったら、対象となる小売店を限定してしまうことになり、もしこの校正者が卸売り店のことを知らない人間だったとしたら、こちらの方が誤訳と私は思いますが…。翻訳の基本は原文の真意を変えない点にあると思いますから。いずれにしても、参考となる情報をできるだけ多く提供するのは、間に入る翻訳会社の義務と思います。
投稿: カオリン | 2009年4月13日 (月) 13時16分
カオリンさん
コメントくださって、ありがとうございます。
Magasin de proximitéをコンビニエンスストアと訳すかどうか、B社さんはカオリンさんと同じ考えで、私も基本的には同じ考えです。ここでコンビニエンスストアと訳された(修正された)例を見ても、私は今後もMagasin de proximitéを小売店と訳すし、誰かの翻訳をコンビニエンスストアと直すこともしないと思います。これが他の仕事で説明を求められたものだったら、私も精一杯自分の考え(コンビニエンスストアに限定するのは適切ではない)を述べるところなんですけど、この仕事では自分の能力の限界が妙に納得できてしまったんですよね。
直した人はどういう店にその商品が置かれているかを知っていたんじゃないかというご指摘は、その通りだと思います。どういうところでアンケートを実施するかも知っていて、だからこそ自信を持って直しているんでしょう。ということは、A社じゃなくてソースクライアント側の人が直したということになるのかな? いい仕事をするためには、小さなことでも、できる限り情報を提供してほしいというのはその通りですね。私もよく思います。
投稿: Olivier | 2009年4月19日 (日) 00時16分